時期により、宮沢喜一総理大臣から村山富市総理大臣まで四とおりとなった。集められた署名用紙は段ボール箱二百三十五個、四ドントラック二台分。祝日法所管の総理府の倉庫に、一度では入り切れなかった。
地方自治体の意見書採択
地方自治法は、第九九条第二項において、地方議会が公益に関する案件について関係行政庁に意見書を提出することができる旨定めている。この規定を活用して、地方議会において祝日「海の日」制定の意見書を採択し、総理大臣等に提出すれば、その地方の重要な民意の表明となるわけである。
地方自治体は、都道府県四十七のほか、市は六百六十三、町村は二千五百七十二、合計で三千二百八十二ある。このすべてに足を運んで意見書採択を働きかけることは、事実上困難である。そこで、海事振興連盟の協力を得て、文書で依頼するとともに、手分けをして都道府県および人口の多い市を中心に訪問し、趣旨説明と協力依頼をするという方法をとった。
海とのかかわりの深い自治体は直ちに対応してくれるが、内陸部の自治体は簡単ではない。海とのかかわりの認識の薄さが支障となったり、「海の日」の趣旨に対する理解は得られても、高齢者層に多い休日増加に対する倫理的抵抗感が障害となったりする。一般に、意見書の採択には全会一致主義を採用している自治体が多いので、少数議員の消極的態度のため、採択に至らないこともあった。中には、海とのかかわりより山とのかかわりの方が身近であることから「海の日・山の日」として意見書を採択した自治体もあった。
最終的には、都道府県は四十七すべて、市は八七パーセント、町村は六四パーセント、全体で約七割の自治体が祝日「海の日」制定の意見書を採択し、総理大臣等に提出した。
評議員の活躍
国民会議の会員の拡大と並んで早期に着手したのは、評議員の選定・委嘱である。制度の意味からすれば、評議員は多い程よいことになるが、評議員会を開催する際の便宜も考えて、三十人程度とすることにし、作家、学界、評論家、俳優、写真家、ジャーナリズム、産業界などできる限り広い範囲から、海に対する知見の深い人に評議員就任を委嘱した。
運動の性格上、もとより無報酬であるが、高名の方々が気持よく承諾してくれた。三十一人の評議員名簿は、バラエティーに富んだ顔ぶれとなり、多様性、知名度、年齢構成など、いろいろな角度から考えて「海の日」運動にふさわしいものになったと思う。
評議員会は、結局二回だけにとどまったが、各評議員は、後述するとおり各種イベントや行事に多忙な時間を割いて出席してくれたほか、本業の活動の中で、折にふれて「海の日」運動を紹介してくれるとともに、国会活動や陳情行動にも参加してくれた。評議員制度は、百二十点がつけられる成果を収めたと考えている。

 

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広報活動
「海の日」祝日化を広く国民各層に訴える広報活動は、運動の期間中各地区で行われた「海の記念日」、「海の旬間」の行事を含めると膨大な数にのぼる。ここでは、中央の国民会議が単独あるいは共同して行ったものに限って紹介することとしたい。主なものは次のとおりである。
*祝日化運動の七夕キャンペーン
平成五年七月。東京駅八重洲北口で、国民会議の役員・評議員、ゲスト等が通行人に「海の日」制定の署名を呼びかけるとともに、七夕を模して、大きな竹に祝日制定を順う色紙を吊した。評議員の岸ユキ(女優)、木元教子(評論家)、草柳文恵(テレビラジオキャスター)、倉嶋厚(気象キャスター)の各氏が参加するとともに、ゲストとして女優の紺野美沙子、写真家の浅井慎平両氏も応援にかけつけてくれた。
*「海の日」フェスティバル

 

 

 

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